一路平安
一路平安(いちろへいあん)=旅立つ人を見送るときのことば。
旅立つ人の一路(みちすじ)が、平安(へいあん)であることを祈って言う、道中ご無事で!の意。
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本日は、「男きもの」シリーズを、ひと休みさせていただきまして、別なテーマにてお話しさせていただこうと思っております。
私は、ある映画を観たく思いまして、本日観るには3日前からインターネットにて、座席の予約ができるという事を知りましたので、金曜日に、インターネットにて予約をしていたのです。
そして本日、予約分をチケットに替える為、開始時間よりだいぶ早めに行きまして、専用の券売機を操作したのですが、「予約は受け付けておりません」の表示になってしまうのです。
何度か、繰り返ししたり、クレジットカードではなく、カードを忘れた人用の他の方法で操作しても、結果は同じよう。。。
仕方なく、係の人を呼んで予約した時のプリントアウトしたものを渡して操作してもらったのですがダメでして、係の人も徐々に慌ててきたのですが、そこで、彼が言うには、「あ、これ、MM店の方です!」との事!
な、なんと、私は、「109 シネマズ」のシネマ店を検索して予約したのですが、「109 シネマズ」は、私の家から西方20分ほどの所にある「港北店」だけだと思っていたのですが、いつの間にか、みなとみらいに「MM店」ができていたのです。
なんという、おろかさ!なんという、私の可愛らしさ!(笑)
そこで、私は決断を迫られました。
これから「MM店」に急行しても、予約した時間の10時5分の上映には間に合いません。
料金は無駄になってしまいますが、このまま、ここで次の回の上映時間まで待って、見ようか?との気持ちから係の人に聞くと、なんと、「港北店」では、予約した映画は、やってないとの事!
これは、もう「MM店」に行くしかないという訳で、「MM店」へ電話すると、係の人が、「お客様は、全てをご承知の上で予約されたはずですので、時間の変更はできません」と冷たいお言葉!
しかし、萬屋千兵衛、ここで引き下がっては男がすたるとばかりに、平謝りに謝りながらもゴリ押しの慇懃無礼なやりとりの末、あちらも諦めたようで(笑)「今回だけは特別ですよ!」とのお言葉の上、次の上映時間である12時55分の分を無料招待券にてゲットできたのです!
ゴリ押しの上に勝ち取ったチケットでしたから、席の位置は期待してなかったのですが、なんと、スペシャル席のすぐ前の真ん中でした。
わりと、いい奴じゃんなんて思っちゃいました!(笑)
そんなハプニングがあって、ようやく観られたその映画とは、「おくりびと」という映画です。
私は、俳優、山﨑 努が好きでして、志村喬、三国連太郎と共に、私の3大好物俳優なんですが、そんな、山﨑 努が好演してるというのを聞きまして、是非、観たいと思ったのが、この映画でした。

感動的なネタの部分は、観てのお楽しみという事にして、ざっと、あらすじをお話しして、話を進めたいと思います。
主役は、本木雅弘(もときまさひろ)で、役名、小林大悟。
そして、その新妻役が広末涼子で、役名、小林美香。
山﨑 努は、小林が転職した先の社長である納棺師(のうかんし)の、会社の社長、佐々木共栄。
そして、そこの事務員が、余 貴美子演じる上村百合子。
小林の生まれ故郷の幼なじみの母親役で、銭湯をひとり、きりもりしてるおばさん役の吉行和子演じる山下ツヤ子。
その銭湯に五十数年通っていて、山下ツヤ子と仲良くしてる笹野高史(ささのたかし)演じる平田正吉。
このような人々が、メインキャストと言えるでしょう。
話は、本木演じる小林が、東京の交響楽団でチェロ奏者として演奏する場面から始まるのですが、その交響楽団は、経営難から解散する事になり、小林は悩んだ末、妻ともども、故郷の山形に戻ってきたのです。
これからどうしようかと、新聞のチラシを見ていると、「旅のお手伝い、NKエージェント」という求人広告が目に入り、条件が良いので、早速、面接に行く所から本筋は始まります。
結果的に、NKとは、「納棺師」の事であり、旅のお手伝いとは、死者に対しての「安らかな旅へのお手伝い」という事が解るのですが、小林は、迷いながらも、社長と共に納棺師の仕事を手伝いながら、なんとか生計を立てようと努力している中、事の真相を隠していた妻の知る事となり、、妻から「汚らわしいから辞めて」と言われたり、地元の幼なじみからも、仕事の内容をバカにされながら、納棺師としての仕事が、自分の天職として目覚めて行く物語です。
私の話のあらすじは、あえて、感動する場面を話さないでいるので、書いてる本人も面白そうではないのですけれど、実際のストーリーや展開には、終始、涙し、泣きながらも笑えるシーンが随所に観られる秀作となっております。
特に、本木雅弘の演技は、適役であり、そして、彼らしい良い演技をしておりました。
山﨑 努は、良い演技をすることは、事前に十分推測されていたわけですが、それにしましても、いつもながらの、セリフ無しの顔だけの演技に、思わず魅入られざるを得ない微妙な演技で、十分に満足させてくれました。
実は、彼を好きな理由のひとつに、演技力だけでなく、私の父の晩年の顔が今の彼の顔にそっくりな事があります。
スクリーン画面一杯に彼の顔が映し出されるシーンなど、つい父の事を思い出さざるを得ないほどです。
舞台は、晩秋から早春にかけての庄内平野でして、時々遠景に見える山は、山形県の誇る月山(がっさん)だそうで、広々とした雄大な風景の中で、このストーリーは展開するのです。
納棺師の職業というのは、今回、私も初めて知った職業でした。
具体的な仕事内容を話しますと、遺体が病院や事故現場から自宅へ戻ってから、棺(ひつぎ)の中へ入れるまでの短い時間内に以下の事をする職業だそうです。
私の知る限りでは、同様な作業を一部病院の看護士の方がされたり、葬儀社の方がされているようですが、肉親の死の時も、実際に確認した事はありませんので、正確な意味では、よく知りません。
その作業内容としましては、まず、遺体から体液がでないように肛門や鼻などに綿花を詰め、表情を安らかにする為に、口の中にも綿花を含ませます。
そして絞った布やコットンなどで体を清め拭い、家族の要望によっては、洗髪や全身洗浄をも行うそうです。
次に、着ていた衣類を脱がせ、死装束(しにしょうぞく)である経帷子(きょうかたびら)や、生前愛用していた衣類を着せます。
その際には、近寄って見てもらっていた遺族や近親者には、遺体の肌が見えないように配慮して作業を淡々としていくのですが、この場面を何度か繰り返し見せられるのですが、その作業の進め方が、単に、思いつきでするのではなく、一種の、様式美に則って行われるようで、形を大事にして遺体の尊厳を損なわないように配慮して行われるのです。
私は、このシーンを観ていて思ったのですが、何か、相撲の世界の、横綱の土俵入りのようなものを感じました。
遺体は、通常、布団に寝かされている状態で、納棺師が後を引き受けるのですが、まず、掛け布団を掛けたままで遺体が着ているものを脱がせ、足下から引きずり出します。
裸の遺体をアルコールを含めた晒し木綿のようなもので、体を拭い、掛け布団の上に、長襦袢を掛け、四隅を敷き布団の中に留めおきてのち、今度は掛け布団を長襦袢の下から抜き出し、家族の見つめる目の前で、一定のスピードで、決まった型にはまった形で、黙々、粛々と事を運んでいくのです。
その手の動きは、死者への尊厳を損なわないように配慮した動きであり、経帷子を着せるシーンにおいても、納棺師が、まず、自分の両手に、逆に左右の袖に手を通す場面があるのですが、その片手ずつの動きが土俵入りの時の、手を大きく広げて弓なりにする様子を思い出させて、その決められた動きこそ、死者、遺体の尊厳を損なわない事なんだと思った事でした。
そして、その後、いよいよ、顔にメイクを施します。
男性には、シェービングクリームにてヒゲを剃る程度の事ですが、女性に対しては、生前の状態に戻すように、遺影を見ながら化粧を施します。
その際、リップクリームは、生前、なくなられた方が使用された物を借りて、化粧を施し、遺族に、生きてる時のようだと思わせるようにするのです。
私自身は、これまで、多くの人の通夜、告別式に列席して参りましたが、遺体が自宅に戻り、通夜の前の儀式だけに、その存在すら知らない事でしたが、なるほどと思わせる様式美を有しているものよと、今回、映画を通して知る事ができました。
思い返せば、私の父は、23年前。母は19年前に他界しております。
両親が他界した後、たまたま引っ越し先を探していた妻の両親に対して、我が家への同居を依頼した私でしたが、我が家へ引っ越しした数年後の14年ほど前に、義父も他界しております。
あとは、私の家の道路を挟んだはす向かいの家に幼稚園、小学校を毎日迎えに来てくれて、一緒に通学していた、通称「ゆきドン」という幼なじみも、数年前に亡くなりまして、通夜、告別式、斎場などで、涙が涸れるほど、私も泣いていた事がありましたが、そのような状況でも、私の知る限りでは「納棺師」なる存在は知りませんでした。
「納棺師」の発祥としましては、1969年頃に、函館で漁船が沈没する事件があり、30人以上もの遺体を納棺する際に、地元の花屋さんが手伝ったのが、きっかけだったという説もあるそうなのですが、故人との別れである、弔いの儀式を、より丁寧に行いたいという思いから、今日においても行われている地域があるようなのです。
今回の舞台は、山形県の酒田市や鶴岡市周辺ですし、義父の実家でもある富山県でも、納棺師が存在している事を、義母が話しておりました。
葬儀社とは違った、あるいは、葬儀社の請負で職を為している納棺師ではありますが、遺体は、きれいな状態というものばかりではなく、映画にも登場してましたが、一人住まいの老人で、死後2週間以上たってから、発見された孤独死みたいな老婆や、事故死で損傷した遺体。あるいは残された者の受け入れられないような、変身をしてしまっているような遺体を、生前の元気な状態の時に戻すような納棺師の存在は、今後、重要視される事でしょう。
私の家は、私が幼少の頃より、住み込みの職人が絶えず2人はおりました。
そんな住み込み職人の中で、我が家の番頭格であり、幼少の私を風呂に入れてくれたりしたH氏が、胃癌で亡くなった時、生前は、筋肉隆々としていて、元気で明るかった彼が、病床に伏しての数ヶ月後、苦しみ抜いて他界した時の棺(ひつぎ)に、収まった彼の姿は、ほとんど骸骨状態の顔をしており、お世辞にも、安らかに眠っているようとは思えなかったのですが、あの時に、このような納棺師がいてくれたなら、せめてもの救いだったのにと、この映画を見ながら思わずにはいられませんでした。
そんな思いもありまして、本日の映画「おくりびと」は、最初から最後まで、涙を流しながら観ることとなったのです。
しかし、それは、ただ悲しいだけのものではなく、山﨑 努を初めとした、役者や脚本などにより、随所に笑いを潜ませながらの、泣き笑いしながらの観劇という事で、全編が、ある意味、死者との関わりの映画でありながら、楽しく、感動する映画となっておりました。
肝心の感動する部分のお話をできないのが残念ですが、故人の尊厳を様式美の中で損なわないように行う納棺師の技を映画館でご覧いただきますよう、私からも、お勧め致したいと思います。
本日は、私の勘違いから予約していた映画館とは違う映画館に間違えて行ってしまうという、本人でさへ信じられないファンタスティックな状況の中(笑)、結果的には追加料金も払うことなく、次の回の放映に替えてもらったり、払わなければならないはずの駐車料金も払わずに済むなど、不幸中の幸いの事もありまして、終わりよければ全て良しという結果ではあったのですが、時間ばかりは、当初、昼過ぎに帰宅できるところを、結果的に夕方に帰宅する事になってしまいまして、記事の更新も、このように遅くなってしまったことを、お詫び申し上げます。
記事自体も、実は、ギター絡みの話もあったのですが、少々疲れましたので、次回へと繰り越させていただきますので、また、次回のお楽しみという事で、これにて休ませていただきます!(笑)
それから、プロフィールの写真を変えさせていただきました。
実は、昨日までの写真は、約15年ほど前の写真でして、現実と余りに違うのは、オレオレ詐欺ではありませんが、やはり、事実に反するものであり、心苦しくもありましたので(笑)本日、愛機、Gibson J45 Custom Vine 蔓太(つるた)と共に、撮影致しましたので、これこそ本日付けの正真正銘の私ですから、今後とも、ご愛顧いただきますように、お願い致します。
この画像のイメージ、実は先日、福山雅治さんがポスターで同じようにギターを抱えてる画像を見まして、これで行こう!と思っていたものです。(笑)
多々なるご批判もお有りの事と思われますが(笑)どうぞ、気を安らかにご覧ください。
但し、スミマセンが、いまだに若干のスケベ心が残っておりますので、年齢に関しましては、不明という事にさせてください!(笑)
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コメント
ここ数回はずーっと柱の影から拝読してました。ときどき指の間から写真見て…。
で、久しぶりのコメントがこの話題なわけですが、私は祖母のときの湯灌に立ち会いました。まだ子供だったけど、見ないほうがいいところは、周りの大人がさりげなく教えてくれて、私は死化粧アタリからはそばにつきました。祖母のときは、昔はみんなそうでしたが、家族がやりました。もちろん、今の「職業」としてのやり方ではありませんが、家族総出で(ただし祖母の場合は一応女ですから、男の遺族は着替えさせてからの参加でしたけど)母なんかは、実家が京都でしたから母親の死に目にも湯灌にも間にあわへんかった親不孝モノや、と言ってました。父のときは今でいう病院でのエンゼルケアをしてもらって帰ってきましたが、髪を整えたりはプロが「こうしてあげてください」と指導?して母がしました。病院で最後を迎えることがほとんどになって、本来家族でやっていたことを、そのプロがする、ということになってきたんでしょうね。今の人は湯灌という言葉さえしらないのではないでしょうか。
親の経帷子は親が古希のときにひそかに作ってありますが、その上に着せる着物は母が一番すきなものがいいと思い、その旅立ちがそう遠くないと思われる今、さりげなく着物を聞いておこうと思っている私です。
投稿: とんぼ | 2008年10月 6日 (月) 10時31分
こんにちは~。
朝イチにお邪魔しましたら、このお話。改めてじっくり読ませて戴こう・と帰りました。
私は富山人です。幼少時、父方の祖母の納棺を観たのが最初です。
一切、布団の端さえ人目に曝す事なく、祖母をきれいにしてくれたその人の姿を今も忘れません。「お婆ちゃんをだいじにしてくれてるんや。」と、子供心に感激しました。
ですが、今年の初め、叔母が身罷った折は、とんでもないものに。
布団を半分剥ぎ、手首まで曝して、マッサージなどをするのです!家族にとっては大切な人の最後は美しくしておきたい。もし、肌に変わった様子でもあったら…と、気が気ではありませんでした。かたびらに着替える時も一人が幕を持って隠し、もう一人がざっと換えるという酷さでした。
泣くに泣けませんでした。
子供の頃に見た、あんなに故人を尊んでくれた納棺の技や姿勢はもう失われてしまったのかと。自分の体も人に曝されるのだろうかと。
家庭の姿が変わってしまい、弔いの大切なものが伝えられなくなってしまったのでしょうか。
長くなってすみません。今まで、誰にも言えなかったのです。本当に悲しかった。
「おくりびと」、必ず観に行きます!(監督さん、富山の人だし。)
投稿: ゆん | 2008年10月 6日 (月) 13時14分
とんぼさん♪
最近、電柱の陰から覗いている人が多いようですね?(笑)
そうですね!私の記憶でも、親類の者が亡くなった時は、
近所の親族が化粧をほどこしたり、ヒゲを電気カミソリで
剃ったりしてましたね。
今回、調べてみましたら、「清掃レスキュー」の検索で、
http://www.omoidekuyo.com/cgi-bin/omoidekuyo/siteup.cgi?category=3&page=0
こういう会社組織で、しっかり行われているようですね。
今まで関心が無かったので、知る事も無かったのですが、
こういう仕事がある事自体、驚きでした。
湯灌も、実際に入浴させてきれいにしてくれたりと、
やはり、家族ではできない事をしてくれるとの事で、
賛否両論、あると思われますが、改めて考えさせられた事でした。
私の場合は、どうしてもらおうかな?と、考えてしまいました。
投稿: 萬屋千兵衛 | 2008年10月 6日 (月) 18時14分
ゆんさん♪
そのような体験をされた事に、同情の念を禁じえません。
おつらかった事でしたね。
是非、「おくりびと」を見てください。
主役の本木雅弘さんは、この映画の発案者でもあり、
納棺師に、その作法を学び、小手先だけの演技ではなく、
その様式美とも言えるほどに美しい所作をマスターしました。
そして、緊張感をもって遺体に対面し、旅立ちの
お手伝いをさせていただくという仕事に誇りを感じていく様子が、
とても良く描き出されています。
私も、この映画を見て、納棺師になりたいとさへ、
思ったほどでした。
全編に流れるチェロの響きも、また、ステキです。
そう言えば、本木雅弘さんはチェロの特訓も受けたようで、
実際に音は出てないのかもしれませんが、山形交響楽団の
チェロリストの方と同じ指の動きをされていて、
その力の入れようが解るというものです。
そして、映画館を出る時に、なんとも清々しい気持ちになれたのが、
この映画で一番の、とても良いところだと思ったのでした。
投稿: 萬屋千兵衛 | 2008年10月 6日 (月) 18時42分
葬式の話になると身につまされます。
この二ヶ月で二人の伯母を亡くしましたから。
一人は九十三歳ですから天寿と言えるし、それなりに身体があちこち弱っていました。
もう一人は本当の叔母ではなく、家内との結婚式で父親代わりをしてくれた人の奥様です。
元々私の近所だったこの薩摩隼人のご主人を出しゃばらずに陰から支えるこの奥様を見て、結婚するなら鹿児島の女性と思ったものです。
実際鹿児島のオナゴと結婚しましたが、その思惑は見事に外れましたが。
この叔母の死はかなり衝撃でした。
その点、我が母は棺桶に足を突っ込んでからほぼ三年、心の準備も出来ています。
死装束も手配済み。
これは死装束を生前から準備し、そのファッションショーまであると言う中国に習って日本でも流行するかも知れないという浅はかな考えで試作したもの。
死を穢れとする日本では「そんなもの作ったら早よ死ぬ」というのが伝統。
それで試作品は母の死装束に落着いた訳です。
右前に蓮の花を盛花にした「蓮の台(うてな)に抱かれて」と題した単衣の訪問着。
千さんにも一枚作りましょうか?
いや、止めときましょ。
悪者にされたらかないまへんさかいなあ。
投稿: otyukun | 2008年10月 7日 (火) 11時02分
otyukunさん♪
「この二ヶ月で」って、今月今夜の「この二ヶ月」ですか?
それは、大変に、ご心痛の事でしたね!
心から、お悔やみ申し上げます。m(_ _)m
訃報を聞いての衝撃って、血縁とか関係無いですよね。
自分の心の中の琴線に触れていた人であったなら、
直接会ったことが無くても、心が痛みますもの!
きょうも、俳優の緒形拳さんの訃報をテレビで報じてました。
私は勿論、お会いしたこともないし、テレビで見てるだけですが、
NHKの大河ドラマの豊臣秀吉役で見てから、今日に至るまで、
いい演技を見せてもらっていましたから、驚きました。
それも、つい先日の8月に、女優の田中祐子さんと、
競演されていた「帽子」というドラマを見たばかりの
訃報なだけに、あの時も、すでに病んでいたのか?と、
思わずにはいられませんでした。
きっと、田中祐子さんも驚き、悲しんでおられる事でしょう。
死装束ですか?
とんぼさんも、お母さんのを用意されているとの事でしたが、
うちの同居してる義母に聞いたら、怒られそうだな?(笑)
それに、こういうのって、順番があるようで無いですもんね?
私も、いつ逝ってもいいように、心の準備だけはしてますが、
それでも、死装束を用意する気持ちにはなれないし、
せっかくの問い合わせですが、経帷子を着る気も無い!(笑)
私も、きもの好きではありますが、棺桶の中までも、
きもの姿で入る気は無いなあ~。。。
何がいいかな?。。。考えちゃいますね?
きものは着なくても、千兵衛褌は履かなくちゃね?(笑)
そう言えば、言い忘れていたことですが、
昨年の夏だったか、仕事中で作業着姿だったのですが、
千兵衛褌は、毎日履いておりました。
そんな、ある日の事。
急に激しい腰痛が起きた事がありまして、
仕事中でしたが、整形外科へ行ったんです。
そして、診察台に寝かされて、お爺さん医者に診てもらったら、
「お!褌か?珍しいもの履いてるなあ!」と言われ、
私は心の中で、「しまった!」と思ったんですが、
最悪な状況は、その後に起きました!(笑)
腰痛用のコルセットを作るとかで、別室へ連れて行かれ、
看護婦さんが私の前にひざまずき、ズボンを脱げと言うのです。
寸法を測る為なのですが、私は仕方なく、降ろしましたよ!
その間、私も看護婦さんも沈黙の中で、計測されたんですが、
後で、看護婦仲間で、酒の肴にされたと思います!(爆)
あんときゃ、恥ずかしかったな~!
まさか、看護婦さんの目の前で見せるとは考えてもいなかったし、
その時は、履いてること自体が自然だったからね。
死装束から、変な思い出を思い出しちゃいました!(笑)
投稿: 萬屋千兵衛 | 2008年10月 7日 (火) 18時16分
私は、25才になって三日目に、母を亡くしました。
母が亡くなる十日程前に、伯母に母の死装束を預け、病院に向かいました。
母が父と結婚して、唯一仕立てた色無地を着せてもらった上に、私が持っていた経帷子を羽織らせました。
この経帷子は、ある寺院の結縁灌頂の儀式に、お手伝いした時にいただいたものです。
元気な時に、四国八十八ヶ所 にお参りに行き、御自分で経帷子を準備しておられる方もおられます。
女性用の死装束として、『おはしより』なしの『ついたけ』の遊び心のある着物か、女性用の作務衣に経帷子を羽織るのが、私のお勧めです。
このような和装の旅行着なら、【一路平安】と思いながら、お見送りできると思います。
萬屋千兵衛さんの太郎くんが、アンズの死を向かえる心の準備をしてくれました。
ありがとうございました。
投稿: ツネツネ | 2008年11月 4日 (火) 11時28分
ツネツネさん!
そうでしたか!
お母様が亡くなる十日前に経帷子を用意されていたという事は、
ツネツネさんの、お誕生祝いも盛大にはできなかった事でしょうね。
私も、両親二人を、三十代で亡くしてますから、
世間的には、わりと早めと思っておりましたが、
25歳と三日目にお母様を亡くされたという事は、
お母様も、まだお若かったことと察せられ、
ツネツネさんも、さぞや苦しまれた事と、ご同情申し上げます。
大変でしたね?
太郎の記述が、お役に立てたとの事。
こちらこそ、ありがとうございます。
私も、今、苦しい時を迎えておりますが、早く抜け出せるよう、
頑張るつもりですので、ブログが再開できましたなら、
ツネツネさんも、元気にコメントしに来てくださいね!
ありがとう♪
投稿: 萬屋千兵衛 | 2008年11月 4日 (火) 18時41分