金玉満堂
金玉満堂(きんぎょくまんどう)=金や宝石などの宝物が家に満ちていること。才学が人より優れている例え。また、俗に吉祥の意。
「金玉、堂に満つ」と、訓読する。
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ということでして、きわめて危険な四字熟語を使用してしまいました!(笑)
この四字熟語シリーズも(シリーズなの?(笑))だいぶ数をこなしてきまして、いよいよ、限界に達してきたような気がしてまいりました。
いや、四字熟語自体は、まだまだ数知れずあるのですが、ブログ記事に適した四字熟語という中において難しくなってきたという意味です。
ですから今回の、「金玉満堂」にしましても、(まだ、仮名ふっておいた方が良いでしょうか?『きんぎょくまんどう』と、読みます。)本来の使い方とは、違っている事を承知の上で、使用してます事を、ご了解ください。今回、使用した意味は、私の持っている「お宝」を、ご覧下さい的な意味での、「金玉満堂(きんぎょくまんどう)」です。(笑)
もっとも、お宝というものには、誰が見ても、「それは、すごい!」と思わせるものから、あくまでも、個人的な「好み」の範疇で、人によっては歯牙にも掛けないというものまで色々あると思います。
そういう意味では、今回の「お宝」は、後者に属するものかもしれませんが、(と、ここで、謙遜しながら、タメの時間を稼いでおります。)これが、結構、時間と共に、じわじわと、来始めてまして、こちらに来られる方々も、「ふ~ん!」と思いながらも、次第に、うらやましく思われるのではないかと思うのです。
『おお、メイちゃん~!おまえこそ、我が家の「お宝」だよ~!そうさ、おまえが一番のお宝さ!』
失礼しました!
いえ、本日の「お宝」は、メイではありません。
見ます?
見たい?
それでは、ちょっとだけ、ご覧いただきましょう!(笑)
いかがですか?
え!?、、、感動しない?
え~とですね、この方達は親子なんですよ!
中村勘九郎という名は襲名前の名前でして、現在は先代の名を継いで、十八代、中村勘三郎と言います。
中村勘太郎は、中村勘三郎の長男です。
中村七之助は、中村勘三郎の次男です。
まだ、ピンと来ませんか?
それでは次のヒント!この方達は、歌舞伎役者です。
ほら!ちょっと、聞いた事あるでしょ?
特に、中村勘三郎は当代きっての名役者でして、彼の歌舞伎をご覧になられた方は、必ずファンになられるという有名人なんですがねえ~、、、
それでは、この熨斗(のし)の中身をご覧下さい。
手拭い(てぬぐい)です。
判じ文字になってまして、縞が縦横合計9本ありますから、勘九郎と読ませるのでしょう。
こちらは、「中」の字の隣に縦縞3本を2回飛ばして「ら」があるので、中六ら(なかむら)と読ませる?
そして、「勘」の字があって、三本線で、「三」。縦横の縞が牢屋みたいに見えるから「郎」で、勘三郎?
超難しい!(笑)
ちょっと、無理がある感じではありますが、まあ、言葉遊びですからね!
お断りしておきますが、今の謎解きは、あくまでも私が考えた事ですので、本当は違うかもしれないという事を、ご承知おきください。間違っても、よそで吹聴(ふいちょう)しないようにね!(笑)
私も、歌舞伎について、それほど詳しいわけではないので、そこんとこ、よろしくです!
いずれにしましても、これらの手拭いは古いものですので、それぞれが一代前の方のものだと思います。
そうそう、メイも隈取り(くまどり)が見事で、おもわず、『成駒屋~!』って、大向こうから声かけたくなりますけど、メイは、大きな声を出すと、ビックリして逃げちゃうから、歌舞伎役者にはなれないなあ!(笑)
というわけでして、もちろん!皆さん、良く、ご存じの親子ですよね!
この手拭いは、実は我が家から数十メートル並びの古道具屋さんにあったものなのです。
ポンパが見つけまして、私も以前から手拭いが好きで、それとなく集めていたものですから、他の面白そうなものも手に入れてきましたので、ご覧ください!
これは、新橋芸者置屋の手拭いでして、芸妓(げいぎ)の名前が9名、記してあります。
ご贔屓(ひいき)筋に配られたのでしょうね!
こちらも同じ新橋の芸妓ですが、お一人だけの名前、小梅さんの手拭いです。
きっと、人気者だったのでしょうね。
こちらは、「東(あずま)をどり」の時に、観客へ配られたのでしょうか?
手拭いは、縦に長いというか、横に長いというか、とにかく長いので、今までも、ご覧いただいてますように、差し障りのない部分で折って短くして撮影してます。
この手拭いは、やはり芸妓のですが、縦の絵柄で、稲穂が垂れている絵ですね。
水商売は、とかく縁起をかつぎますから、「豊年満作で縁起良い」という意味なのか、あるいは、頭(こうべ)を垂れて、お客様に「よろしくお願いします」と頭を下げている、という意味なのでしょうかねえ。
「ゆみ」と書いてある手拭い。
その上に、「新ばし」と書いてありますから、やはり芸妓か、ホステスか?
しかし、この絵柄の意味が判りません。
しだれ桜のようなんですが、その枝の模様で、袴(はかま)のように見えてます。
何を意味してるのでしょうか?
さあ、今週の問題です!(笑)どなたか、意味を教えてください。
こういうのを、「判じ絵」というのでしょうか。
あとは、似たような感じですので、次々とお見せ致します。
彩色されると、やはりきれいですが、地に色をつけたり、多色刷りになると、制作費も上がってきますよね。
大胆な構図ですが、こちらは、お店の手拭いのようです。
こちらは、三味線のお店の手拭いです。
あ!「砂場 赤坂店」と書いてありますから、お蕎麦屋さんですね。
手拭いの上の方の細い縞模様は、お蕎麦を表現しているのでしょうね。
この染め抜きの蓮根(れんこん)の絵柄は、縁起物の模様で、蓮根は穴が開いていて先が良く見えるので、「見通しが利くように!」という縁起担ぎですね。
ん?この派手な手拭い!どこかで見た事があるような?、、、
あ!私のでした!(笑)

本日は、私の金玉満堂でした!(爆)
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コメント
はーい、また一番でーす。
お宝拝見、眼福でした。ありがとうございます。
こんなページがありますよ。
http://www2.odn.ne.jp/shinbashikumiai/geisha.html
芸者さんは、名前もついだりするそうですから、
もしかしたら、先代さんの手ぬぐいなんてのも
あるかもしれませんね。
「ナゾの手ぬぐい」は、私にも袴に見えます。
真ん中の結び目を、「寿」の字にしているようで
やはりお祝いごとか、東おどり関係?
もしかしたら「男舞」が得意だったのかも?
「小梅」さんと聞いて、私は新橋ではなく
「赤坂小梅」姐さんを思い出しちまいました。
千さん、覚えてます?とても「大梅」さんで、
お相撲さんみたいでした。
市丸さんはかなり長く歌ってましたね。
投稿: とんぼ | 2008年3月 2日 (日) 23時11分
何を隠そう、このボクは小学校五・六年の時、
粋がって学生服姿に「腰手ぬぐい」をしてた時期が
ありました・・今思うと小っ恥ずかしくてしょうがない(笑)
投稿: 伊藤 | 2008年3月 3日 (月) 03時12分
一口に「手ぬぐい」と言うけれど、歌舞伎「弁天娘女男白浪」稲瀬川勢揃いの場では「手ぬぐい」が大いにその演出を高めている・・
あっ、そうそう、よく舞台舞踊において、芸者衆の祭り装束姿の踊りがあります、手には銀の錫杖を持ち
花笠を背なに掛け、首には豆絞りの手ぬぐいを巻いております、そんな姿がなんとも粋ですよねぇ
夜鷹が「手ぬぐい」で顔を隠す姿もワルか~ない(笑)
投稿: 伊藤 | 2008年3月 3日 (月) 04時15分
とんぼさん♪
おはようございます!
HPのご紹介、ありがとうございます。
新ばし芸妓や、東をどりの由来が判って、タメになりました。
他の方の為にも、抜粋して載せておきましょう。
『安政4年(1857年) 新橋芸者の始まりは、銀座八丁目で常磐津指南をしていた人気の女師匠が、幕府に御墨付をいただく事による。
幕末期(1853~58年頃) 各藩の御留守居役(おるすいやく、外交官のこと)達の公儀や他の藩との折衝、社交の場として新橋花街が多用される。
特筆すべきは、後に明治政府を樹立する薩長土肥の志士達の多くが新橋の馴染であったこと。当時まだ若く、西国出で無粋と見られていた彼らは、江戸文化の粋と呼ばれた柳ばしの花街では歓迎されなかった為、新興の新橋での宴席を好んだそうです。
明治時代(1868-1912) 新橋の花街が 日本一の社交場と称されるほどの発展を遂げる
明治政府の要人だけでなく、彼らをもてなす政財界の面々が自社の応接間のように新橋の料理屋・待合を使うようになります。また、目の肥えた財界茶人が新橋で茶器や書画等を御披露する御茶会を開く機会も多く、茶屋の主人・女将・芸者達にも一層の教養と洗練された嗜みが求められるようになりました。新橋は、他所の花柳界に先駆けて芸者の専科制を実践し、芸事では一流の講師を招いて技芸の向上に努めました。』東京新橋組合のHPより抜粋。
そして、その芸妓の技を一般の方へお披露目する場として設けたのが「東をどり」という事だったのですね。
確かに、幕末以前の江戸では、いわゆる花柳界は幕府側の武士により生計を立てていたでしょうから、新参者の勤皇の獅子達は田舎者としてバカにされていたであろう事は、容易に想像されます。
「赤坂小梅」姐さん!覚えてますとも!
私たちが子供の頃は、結構、元芸妓の方が歌手として、活躍されてましたよね。
私、一度驚いた事があるんですが、それこそ、手拭いにもありました、お蕎麦屋さんの「砂場」の新築祝いに招かれた事があるんです。
場所は、戸塚警察署前から入った長後街道沿いにある3階建ての立派なお蕎麦屋さんで、電気工事はうちでやったものですから、私が伺ったのですが、その宴席で昔テレビで歌っていたOO姐さんがいらして、一曲歌ってから私の隣りでご一緒に飲んだのですが、きもの姿は「お笑いの小梅太夫」のようでしたが、正に本物のお婆ちゃんでして(笑)それでも、いまだに現役で営業活動をされていて、その時も、若い時に録音したと思われるカセットテープを販売してました。買う人、少なかったけど。(笑)
今思えば、やはり「赤坂砂場」や「新橋芸者」つながりでの来賓者という事だったのかな?と思いました。
投稿: 萬屋千兵衛 | 2008年3月 3日 (月) 05時19分
伊藤さん♪
おはようございます!
子供の頃に、腰手拭い。
伊藤さんなら、容易に想像できますね!(笑)
私も子供の頃は田舎の少年でしたから、
(今は違うとでも言いたそうな言い方ですが(笑))
似たようなもんでした。
夏の暑い盛りには、汗取りに、手拭いを首に巻いてる姿を良く
見たものです。
今やってる人は、滅多に見ないですね~!
だいたい、今は手拭いじゃなく、タオルですもの!
タオルはタオルの良さがあるでしょうが、手拭いには手拭いの
良さがあります。
実用としての手拭いが、すたれていくのが見える世代としては、
実に寂しいものがあります。
私の手拭い好きというのも、ただの蒐集という意味ではなく、
子供の頃から馴染んできたという事もありますが、
35年前から、お囃子の踊り子として、手拭いで色々な所作を
してきたからでもあると思いますが、今でも使い古して
軟らかくなった手拭いは、ハンカチに勝るモノとして、
より大事なモノとなってます。
きものを召される方にとっては、食事の時に、膝への
喰いこぼしから守ったり等、なにかと重宝するものなのですが、
鑑賞用としての手拭いではなく、実用的なモノとして、
もっと多くの方に使用して欲しいと思いますね。
投稿: 萬屋千兵衛 | 2008年3月 3日 (月) 05時53分
手ぬぐいには洒落たものがありますね。
我が工房でも和風な物を染めていますが、洒落の効いた物はまだ。
駄洒落になってしまったのも面白いかも。
例えば、「イチゴの絵」で「一期一会」とか、「ツキよ来い」を「月と鯉の模様」でとか。
考えれば面白いアイディアが一杯出てくるでしょう。
つい最近、縞に大工道具をシルエットにした良い手ぬぐいを見ました。
件の手ぬぐい、柄とすれば柳に桜となるのでしょうが、寿の文字も見えるし、確かに袴の結び方ですね。
祝い事に季節感と正装の袴を絡ませた様ですが。
縄暖簾や相撲取りの下がりにも見えますね。
仕事上では和手ぬぐいは糊状の物を濾す時に重宝します。
地入れに使う布海苔など。
マフラーの代わりと言って買っていく外人さんもいました。
タオルと違って吸水量が少ないのが廃ってきた原因ですが、柄の面白さは千社札の趣があります。
投稿: otyukun | 2008年3月 3日 (月) 18時33分
久し振りに安心して見れる、たのしい内容(ゴメン)。
日本手ぬぐい、風呂敷、箸置き、大好きです。
手拭いは、祖父母の家で暮らしてた小さい頃、廊下の突き当たりのご不浄の横に下がっていたなぁ。
(ちょんちょん、と押すと水が出る、上からぶら下がった入れ物、あれなんていうんでしょね?)
おじいちゃんは、手拭い鉢巻に鉛筆はさみ、おばぁちゃんは手拭いかぶって、ハタキがけ、茶殻をまいて座敷箒で掃除。おじちゃんは学帽の下に手拭いをたらしてた。
粋筋のものはあまり記憶にないけど、生活のなかで生き生きと活躍していた手拭いが懐かしいです。
セピア色のおもひでじゃのう。
江戸小紋が好きなので、手拭いも千さんのレンコンなど「あぁ、いいなぁ」、と思いますね。うらやまし。
年もとってきたし、もうしまっておいてもしょうもないから、ジャンジャン使おうかなぁ。
ステキな画像を、ありがとさん。(どこかに例のメンタム缶を、ちょこんとのせて写してくれりゃよかったのに)
投稿: まりも | 2008年3月 3日 (月) 23時38分
(ちょんちょん、と押すと水が出る、上からぶら下がった入れ物、あれなんていうんでしょね?)
あれは「手洗器」または「吊り手洗器」と呼んでおりましたが、
投稿: 伊藤 | 2008年3月 4日 (火) 01時09分
otyukunさん♪
おはようございます!
え~、昨夜来コメントを読ませて頂いてたのですが、
「染め」のプロの方に、うかつな事も言えませんので、
言葉が出て来ず、困っておりました!(笑)
駄洒落尽くしの判じもん手拭いなんて、私は得意だと、
思いますし、ちょっと考えれば次から次へと浮かびます。
あの、名入り蓮根の手拭いを作る時も、本当は、
フルオーダーで、オリジナルの手拭いを作りたかったのですが
どうしても、高額なものになってしまいますので、
諦めて既製品から選び、名前だけ入れて貰ったのです。
おふくろは、餡(あん)が好きでして、自分でも
よく作っておりました。
小豆を煮て、漉し餡にするのに、手拭いをで作った袋に
煮豆を入れ、コップの底でつぶして濾してました。
私は若い時に、日本酒を造っていたのですが、
濁り酒状態になってから60度の低温殺菌をした後、
手拭いで袋を作り、時間をかけて濾して清酒にしてました。
今みたいに、遊び心ある手拭いを購入するというよりも、
昔は商店からの頂き物を利用することが多かったですよね?
投稿: 萬屋千兵衛 | 2008年3月 4日 (火) 08時26分
まりもさん♪
ありゃ~!
ホントだ!
ゴメンなさい!すっかり、忘れてました(笑)
で、今朝、早速メンタムを出してきて、撮影してから、
記事の最後に、「追記」という形で載せようと思ったのですが、
ふと、思い直しました。
この話!次回のネタに使えるじゃない?と(爆)
という訳で、次回にたっぷりとお話し致しますね?(笑)
濡れ縁の先の、どん詰まりの厠(かわや)前に、、、
ありました!(笑)
手拭いと吊り型手洗い器!
お互い、古いね~(笑)
私の記憶では、さすがに自宅ではありませんでしたが、
父母、両方の生家には私が子供の頃にもありました。
母の生家は我が家から道路を挟んでの向かい方ですから、
毎日遊びに行きますし、酒屋兼雑貨屋でしたから、
今で言う、酒タバコを扱っているコンビニみたいでして、
いや、今は本当にコンビニやってるんですが、
当時は、茅葺き屋根の2階建てで結構立派な家でした。
そして、濡れ縁の先は厠でして、ちゃんと手拭いと
吊り型手洗いがありました。
父の生家は農家でして、広い庭の中に茅葺きの屋根母屋があり、
その奥には、豚小屋、馬小屋、ガチョウにニワトリと、
すさまじい香りの中に、やはり濡れ縁が通っていて、
角を曲がってのどん詰まりに厠がありました。
昔は二色とか言う、小さな電球の光りだけで薄暗く、
便器の中は地獄の底のようでして、夜入るのが恐かった!
でも、入り口には、ちゃんと手拭いと吊り型手洗いが
ありましたね。あれ、結構ヒット商品だったんでしょうね?
投稿: 萬屋千兵衛 | 2008年3月 4日 (火) 08時45分
伊藤さん♪
あの吊り型手洗い器!
要は、汚い手で蛇口をひねらずとも良いように、
考案されたものと思われますが、あれと同じ原理のものが
今でも白い陶器で家庭用のが、あります。
そして最新型というと、ホテルのトイレなどにある、
人の手が近づくと、自動的に感知して水が流れるタイプ!
でも、原点は、やっぱり吊り型手洗い器ですよね?(笑)
投稿: 萬屋千兵衛 | 2008年3月 4日 (火) 08時53分
>あれ、結構ヒット商品だったんでしょうね?
ホントそうだと思いますよ、吊り手洗い器を考案し販売を開始された当時の広告文をサイトで見つけましたから紹介しておきましょう
「前に汚れたる手の触れたる処へ、清めたる手の触る〃如きことなき、実に不潔を清むるの主意に背かざる特色を有せり・・」(原文のまま)
なんとまぁ、まわりくどい言い方なんでしょ、でも僕はこういう文体が何故か好きですねぇ、(笑)
投稿: 伊藤 | 2008年3月 4日 (火) 10時41分
私は使っていた記憶がありますよ。もちろん、手拭はてぬぐいでしたね。
今の家を建てたとき、設計者に「水洗トイレの上から出る水で洗うタイプより、壁埋め込みの小さい手洗いをつけたらどうか」といわれ、さらに蛇口を回さない衛生的なほうがいいでしょうと勧められたのが、蛇口の回る部分が下についているもの、つまり蛇口(小さい羽みたいなの)をまわすと上からシャワーが出る、ってのにしました。
初めて使ったとき「なんだ昔のトイレの手洗いじゃん」って思いましたね。原理なんて、そうそうかわりゃしないものです。違うのは、昔のはときどき母が中の水を足してたことですね。
姉さんかぶり、おばあちゃんの着物の衿の汚れよけ、残り物のほこりよけ、おひつの中のしずく受け、残りご飯でゆかた用の糊を作るときも手ぬぐいで縫った袋でした。後年、内風呂が持ててからは、母は毎年冬になるとみかんの皮を干したのを手ぬぐい袋に入れて、湯船に毎日のようにプカプカ。なんたって母はみかん一日に20個くらい食べてましたから。水の吸収とか肌ざわりとかはタオルかもしれませんが、手ぬぐいでなければってものも、あるんですよね。
投稿: とんぼ | 2008年3月 4日 (火) 12時58分
伊藤さん♪
伊藤さんは、まわりくどい言い方が、お好み!
それで、私のブログが好きなんですね?(爆)
投稿: 萬屋千兵衛 | 2008年3月 4日 (火) 17時20分
とんぼさん♪
そうだよね!
あれは、水を注ぎ足さなければいけない訳だ!
私が経験してたのは、子供の頃だったから、
私の知らない時間帯に、水を注ぎ足してた人がいたんですね。
縁の下の力持ち?(笑)
昔の主婦は、今の主婦の何倍もの仕事量をこなしてたんでしょうね。
薪を燃やして、ご飯を炊いたり、料理を作り、
洗濯板で洗濯して、掃き掃除、拭き掃除に子供の世話。
夫の帰ってくる前に風呂掃除をして、薪でお湯にする。
いわゆる便利な機械が無い時代では、さぞや大変だったでしょう。
お風呂にミカンと言えば、うちでは今でも、
ゆず湯とか、菖蒲湯には、おふくろの形見の袋に入れて、
使ってます。そうした、何気ない生活の中の、
ちょっとした時に、おふくろが、今でも顔を出すんだよね!(笑)
投稿: 萬屋千兵衛 | 2008年3月 4日 (火) 17時38分
そっか!「吊り手洗器」というのか。まんまじゃん!
昔の道具は実用的で、それでなにかしらあたたかみがあっていいですね。
おじいちゃんの「おーい!水がはいっとらん!」という声を思い出します。
学生のおじちゃんが言うと「おまえでも手、洗うんかい!自分で入れなっ」とおばぁちゃんが言うのです。
男共は「梅が枝の~手水鉢♪」と唄いながら手洗いして、私が唄をまねると、母は怒るんですね。
「めぇめぇ子やぎ」とか「あっかい鳥、ことり~」にしなさいと。( この歌は、群青色や黄土色、こげ茶色などで歌うのが好きでした )
いやぁ、千兵衛さんのおかげで、古い事をどっと思い出してしまいました。みんなこの世にいない人ばかりで、涙もどっとでてきそうです。あ、母はまだ生きてた(笑)
投稿: まりも | 2008年3月 4日 (火) 20時35分
まりもさん♪
梅が枝の~手水鉢~♪叩いてお金が出るならば、ヨイヨイ♪
もしも、お金が出た時にゃ~♪そのときゃ身請をそれたのむ、
ヨイヨイ♪
なんて、私も昔、鼻歌を唄ってた事、思い出しました。
この歌は、貧乏の為に女郎になった妻が夫に対して
早く身請けをしておくれ!と唄った歌と聞いたことが
ありますが、そういう事から、女の子の唄う歌じゃ
ありませんという、今は亡きお母さんの叱咤だったのかも
しれませんね!あ、まだ生きてるんだ?(笑)
今は、プラスティックの時代。
叩いても、ボンボンとしか鳴らないのが悲しいですね!
投稿: 萬屋千兵衛 | 2008年3月 5日 (水) 06時22分
たいへんごぶさたしております。
カキコは久しぶりなのですが、いつも楽しく拝見させていただいております。
この中村屋の手ぬぐいですが、おそらく勘九郎→現・勘三郎丈のものでしょう。
そして勘太郎・七之助の二人のものも揃っているということであれば、この二人の襲名披露(1987年に襲名)の配り物でしょう。
今から20年も前の事になりますので、古くても納得ですね。
「一代前の方」と書かれていますが、勘太郎・七之助に関して言えば、当代の方の手ぬぐいで間違いないと思いますよ。
すいません、歌舞伎好き&中村屋好きなもので…
投稿: てらりんママ | 2008年3月 8日 (土) 01時20分
中村屋を語る上において忘れてはならない人がいる・・その名を「中村小山三」という、私はこの人のファンでもあるのです、先代中村勘三郎が生前、内弟子でもある小山三をつかまえて「オレが死んだ時にゃ、こいつも一緒に棺桶にぶち込んで呉れぇ・・」と云うと
当の小山三も負けじと「嫌ァ~なこってす、あ~た一人で逝って下さいましナ」とやり返したという笑い話だ、もう随分前にテレビ中継で観た新派「浅草パラダイス」の中でもこの人は出ていた、
あれは鳥餅で鳥を捕らえる「鳥娘」だったと思う
・・この人梨園育ちでも何でもないのだが、歌舞伎界はこういう人達によって支えられているのを
忘れてはならない。
投稿: 伊藤 | 2008年3月 8日 (土) 05時33分
てらりんママさん♪
こんにちは!
返事が遅れましてゴメンなさい。
仕事で外出してたものでして、今、帰ってきました。
ご指摘の部分、勘違いされるかな?と危惧しながら、
書いてた部分でして、見事に的中で嬉しいやら、
後悔するやらであります。(笑)
実はですねえ、手拭いを見つけた時の状態を
もう少し詳しくお話ししますと、古道具屋さんは、
ひとつの箱に、糞味噌一緒という感じで、手拭いを
詰めてあったのです。そして、底の方に熨斗袋だけが、
重ねてあって、「中村屋」の熨斗袋や手拭いを見つけた時は、
驚きましたし、それがバレると高値を言われそうなので
その事は黙って熨斗袋と手拭いの束を重ねて渡しまして、
後は、金額を聞いてから値切りの交渉をしたという事でして、
家に帰ってから、お宝探しみたいに、よく調べましたら(笑)
勘太郎、七之助の手拭いは無く、熨斗袋だけがあったという訳です。
勘太郎、七之助の手拭いがあったら、画像に出しますもの!
という事でして、
「これらの手拭いは古いものですので、
それぞれが一代前の方のものだと思います。」
というのは、おっしゃるように17代目と18代目だけの、
事を指してるんです。
紛らわしい表現で、ゴメンなさい。
自分でも、誤解されるかな?と思ってただけに、
再度、反省致します。
勘太郎、七之助兄弟も、立派な歌舞伎役者になりましたね!
それに、18代目の「てやんでい!」とかの口調や仕種が、
17代目にそっくりだったりで、中村屋好きにはたまりませんね?
投稿: 萬屋千兵衛 | 2008年3月 8日 (土) 16時06分
伊藤さん♪
確かに、梨園に限った事ではありませんが、
脇役がいてこそ、主役が映えるわけですよね!
私が同じような思いをした事が、7年程前にありました。
私の所属する、お囃子の会の子のお父さんが亡くなり、
私は会を代表して弔問したのですが、その斎場には、
たくさんの花輪が出ていたのですが、中村屋一門を始め、
多くの歌舞伎役者さんの花輪があり、故人は一体誰なのか?
歌舞伎役者だと聞いた事も無かったので、とても驚いたのです。
弔問客の中でも、喪服きもの姿が美しく、ひときわ目立ったのが、
当時、不倫騒動の末、坂東八十助(現10代目坂東三津五郎)と
結婚したばかりの、近藤サトさんでした。
帰りの電車の中でも、ご一緒させていただきましたが、
美しく目立ってました!って、話が逸れてしまいましたが(笑)、
こんなに歌舞伎界の花輪が多くかかった故人は、
一体誰なんだろう?と思いましたら、後日、聞いた話によりますと、
歌舞伎座の舞台装置を長年に渡って手がけてきた方だったのです。
歌舞伎役者さん達も、このような縁の下の力持ちがいてこそ、
自分たちの演技が映える事を、よく認識されてるという事ですね。
投稿: 萬屋千兵衛 | 2008年3月 8日 (土) 16時41分
はははっ!
見事にだまされました~(いっそ気持ちがいい?)
小山三さん、わたしも大好きです。
確かに、歌舞伎は花形役者だけでは舞台は出来ないですもんね…
投稿: てらりんママ | 2008年3月 9日 (日) 09時10分
てらりんママさん♪
いやいや、だましただなんて人聞きの悪い事を!(笑)
話さなくても良い事を、話さなかっただけの事!
本日、更新予定の「出藍之誉」は、ウソ偽りのない、
暴露話です!
もっとも、タイトルがウソですけど!(笑)
投稿: 萬屋千兵衛 | 2008年3月 9日 (日) 16時41分