単刀直入
単刀直入(たんとうちょくにゅう)=直接に要所をつくこと。
前置きなど省いて、すぐ本題に入ること。
遠回しな言い方をしないで、遠慮なく核心をつくこと。
「ただ一振りの刀(単刀)を頼りとして、まっしぐらに切り込む」が、転じて、余談、前置きをぬきにして、ただちに要点に入ること。
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前回の記事で説明が足りなかったことだが、我々5人の仲間のうち、TとMは英語部、NとYは演劇部で、私は園芸部と図書委員をしていたのだが、実は、ポンパとTM2人とは中学生時代の同級生であり、NとYとは1年生の時からの演劇部仲間であるので、私が初めて演劇部の中に入り、ポンパと対面した2年生の時には、私だけが初対面であり、他の4人とポンパとは親しい間柄だったのだ。
特にポンパとYとは親しい仲だったので、その後、我々5人はポンパの家で会議という名の宴会をするようになった。
話を前回の続きに戻すが、その後、我々は詩の会を「同人幻詩会(どうじんげんしかい)」と名付け、発行する同人誌を「幻(まぼろし)」と名付けた。
「幻」とは、いずれ卒業時には自然解散することになろう同人誌の行く末を想像して、一時的なものになろうとの憂いを込めて名付けられたものだ。
毎月、個人個人が詩作するということも基本的に大変なことだが、現実問題として、どうやって同人誌を製作するかの具体的な問題に直面した時、我々が考えたことは、資金不足という、ただ一点の理由から、什器備品なり紙などの消耗品を調達するすべは、全て学校のものを利用するしかないだろうとの合意だった。
そして、学校側との交渉は、一見真面目で、クラスでも役員をしていた私が行う事になった。
私は、放課後、職員室に行くと、事務職員のMT氏に面会を求め、「実は、MTさんに、お願いがあるのですが、、、」と切り出し、詩の同人誌を発行したい旨を説明し、印刷機を使用させて欲しいと単刀直入に依頼した。
私は内心、簡単に学校の備品を個人的に使用させて貰うことは難しいと思っていたので、MTさんから断られた場合のことも考えながら話していたのだが、驚いたことに、私の説明が終わると同時に、30歳ほどの年齢と思われる彼は、笑みを浮かべ、快く了解してくれたのだった。
そして、了解どころか、輪転機の使用を始め、ガリ版原紙などの什器やA4版用紙の使用なども許可してくれた。
つまりは、我々の趣旨に賛同してくれ、全面的に協力してくれると約束してくれたのだった。
その後、卒業するまでの彼は、穏やかな人格で優しい人という印象であり続けたのだったが、卒業後、彼が左翼運動家として警察に逮捕されたとの話を聞き、おおいに驚いた。
在学中に見せた彼の印象からは、政治活動をしているような片鱗も見られなかったので、今でも信じられない気持ちだが、おそらく、「隠れキリシタン」のような心中であったのだろうと思われる。
通常、警察に逮捕されるという事態は、尋常なことではないが、私が3年生の時には、東大の安田講堂を学生運動家達が占拠した年でもあり、そのような学生運動が盛んな当時においては、それほど異常なことでもないと思われ、そのようなことからも、私にとっての彼は、今でも優しい人との印象だけに包まれている。
我々は、製作した「幻」の販売方法を検討した。
当時、渋谷や新宿の駅構内では、個人的に自分の詩集を販売している女性が数人いた。
首からプラカードを提げ、「私の詩集を買ってください」というようなことが書いてあったが、立ち止まって詩集を見たり、買っているような光景は、個人的に見たことがなかった。
そのようなことから、我々は同じ駅構内であっても、立ち止まって売るのではなく、帰宅する通勤客や通学生に並んで話しかけ、一緒に歩きながら説明して売りつけるという方法を考えた。
放課後、一旦帰宅してから私服に着替え、それぞれ分かれて、渋谷、新宿、中野、銀座などで上述のような方法で販売し、集合時間を決めて落ち合い、食事をして意見を交換するということを毎月していた。
この販売方法は見事に成功し、一部100円ということもあって、予想以上の売り上げをみせた。
初めは、同じような年頃の文学好きに見える女学生をターゲットにしていたが、試しに中年男性にも声をかけたところ、これが意外に購入してくれることに驚いた。
アンケートをとったわけではないので理由は分からないが、中年男性と言えども、昔は青春時代もあったわけだし、一部100円というワンコインということと、しつこく付きまとってうるさい等との理由から、買ってくれたのだと思う。
今思えば、稚拙な詩の羅列や稚拙な小冊子で、当時購入してくれたお客様には誠に申し訳ない気持ちでもあるけれど、それでも、「頑張ってください」というようなハガキなどをくれた方もあったので、我々の誠意だけは通じたと思っている。
そのような新しく刺激的な生活の中、私はNやYとの行動も多くなり、文化祭前には演劇部の大道具製作にも、たずさわるようになっていた。
今、記憶に残っているのには、ポンパが主演したルナールの「にんじん」の大道具である、家の壁塗りがある。
ベニヤ板を貼り合わせて作られた家の壁を放課後、ポスターカラーで、Nと2人で黄色く塗っていた。
そこへ同じ演劇部の女子が覗きに来て、Nと話していたのだったが、突然の風が吹き抜けて、彼女のスカートは捲り上がり、白いパンツが一瞬丸見えになったのだった。
彼女は悲鳴を上げ、Nと私は目と目を見つめ合い、ニンマリとした。
ただ、それだけのことだったが、年老いた今でも、こんなことだけは鮮明に思い出されるなんて、私の真面目な性格によるものなのかと考えてしまう。
そして、文化祭も翌日に控えた日。
私とNとは夜遅くまで最後の準備をしており、帰宅するのも面倒になったことから近所の公園のベンチで寝ることにした。
季節は10月初旬だったが、10月にしては、とても暖かく、野宿するのも十分に耐えられると判断したからだった。
近所の公園に行くとベンチはなく、ブランコとすべり台だけだったので、太ったNが下になり、私がその上に肩車するような形で、すべり台で寝ることにした。
そして、寝静まった深夜。
私は身の引き締まるような寒さに目覚めた。
夕方までは暖かかったのに、深夜ともなると、それなりに10月の寒さが身に凍みてきたのだ。
すべり台は鉄製でもあり、その冷たさが文字通り、身に凍みて伝わってきた。
Nは?と、見ると、彼は皮下脂肪に包まれているせいか、スヤスヤと寝ている。
私は、もう寝ることができない状態で震え始めていた。
仕方無く、私は彼に覆い被さるようにして、初めて男を抱いた。
何となく複雑な心境ではあったが、それでも、いつしか意識を失っていた。
翌日、文化祭は始まった。
私は、女子部の教室に作った園芸部の大規模な盆景のチェックを終えると、演劇部のリハーサルを見に行った。
演劇部の公演は午後で、午前中に最後のリハーサルが行われるからだった。
講堂には椅子などが整然と並べられており、リハーサルが始まった。
私は、当時、すでに写真撮影を趣味としていたので、高校入学祝いに親に買って貰ったオリンパスFというハーフサイズでありながらレンズ交換ができる一眼レフを持ち、ポンパの演技を撮影していた。
彼女は、主役の「にんじん」の役で、少年であるから、白いシャツに茶色の半ズボン姿で、顔には「にんじん」の愛称となった「そばかす」が点々と付けられて、たすき掛けのズボン吊りで熱演していた。
一通り撮影し終わると、近くの席に座ってリハーサルを見ていたのだが、すぐ後ろには演劇部の顧問である古文担当のK先生がいた。
そこへ現代国語担当のH先生が来て、隣に座り、K先生に、「できは、どうですか?」と聞いた。
するとK先生は、「ダメですね」と言った。
私は顔は前に向けたまま、猫のように耳を後ろに向けて、この「ダメですね」を聞いていたのだが、この言葉が謙遜して言っている言葉か、あるいは本音なのか、よく判らなかった。
しかし、全体の印象はともかく、ポンパは結構素人離れした演技をしていると思っていた。
そして、本番公演も無事に終わり、片付けをしている最中のこと。
私は、そこまでの手伝いはせず、たまたま、楽屋口にいた時に、ポンパの父親が娘の為にとの思いであろうが、かんぴょうの海苔巻きの折り詰めを20個ほど、差し入れしてくれて、ポンパは仲間に配り始めていたのだった。
私は、何気なく、その様子を見ていたのだったが、そこへポンパがやって来て、「どうぞ!」と、私にも差し出してくれた。
私は驚いて、「いや、私は部外者ですから!」と言うと、彼女は微笑んで、「いいんです!」と言って手渡し、また戻っていった。
私は、この時、それまで余り良い印象を持っていなかったポンパに対して、かんぴょうの海苔巻き、一折りにより、気立ての良い子だというような印象を持つことになった。
後年、結婚してから、この話を持ち出した時、彼女の言った言葉。
「あまりにも物欲しげな顔をしてたから、仕方無くあげたのよ!」
【ポンパにバレなければ、次回に続くかも?】

































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